「自分で責任を取れることをやりなさい」という今は亡き母の言葉

2017.05.25

私の母は、私が5歳のときに離婚して、私を含む4人の子供を育てた。幼少期の一時期は、お米を買うお金さえなかったこともあった。父親がしょうがない人だったからだ(しょうがないっぷりは、子供4人いてお米を買えない生活をしていたことから想像はつくだろう)。それでも、私のDNAはその父親の一部を受けついでいるからうらんではいない。その時の生活はかなり苦しかったが、それがあったこそ今の私があるのだと思え、感謝さえしている。きっと、普通もしくは裕福に育っていたら、わがまま娘で育っていただろうことが、自分でもわかる気がするからだ。「自分で責任を取れることをやりなさい」、中学生のとき母から言われた言葉が、いつしか自分の行動の基本となっていった。「我が家は貧乏だから、何をするにも自分で責任を持って行動し、自分で稼ぎ、家族にも他人にも迷惑かけないようにしなさい。」と一人で生きていくための全てが詰め込まれたような、母が壮絶な人生を歩んできたからこそ、私に与えた言葉にも思える。

「今を生きる」(原題はDead Poets Society)という映画をご存知でしょうか?中学生のころ、高校生の兄と金曜ロードショーでその映画を見て、感動して大泣きしたのを今でも鮮明に覚えている。兄の泣いた姿は、そのころほとんど見たことがなかったから、それにも衝撃だったのかもしれない。この映画を観たあと「今を生きる」という言葉が、私にとてもしっくりきたのだろう。それまでは普通の家庭だったら、こんな思いしなくてもいいのに・・・と思うことがあったが、この映画を観てから、自分に無い何かをうらやましく思うのはやめよう、「(あたえられた)今を(自分らしく)生きよう!」と勇気付けられた。この映画をどのように感じるかは人それぞれである。私と兄にとっては間違いなく、心を揺さぶられる作品となっている。

「毎朝、起きたときに思うの、今日も命があったって」と、新人看護師のときに末期がんの患者に言われたことがある。言われたとき、ハッとした。自分の命が普通にあることの大切さを忘れていたのだ。毎日は何もしなければ、何事もなく去っていく。いつ命の終わりがくるかなんて誰もわからない。わからないからこそ、今を大事にしなくてはならない、「今を生きる」ということを、患者からあらためて教えてもらった新人のころの忘れられないエピソードである。

人には、それぞれの人生が与えらていて、同じものは二つとなく、それぞれの人のオリジナルである。私の場合、「自分で責任を取れることをやりなさい」という言葉、「今を生きる」という言葉を基本に人生を歩いている。いつどんな時にどのような出来事に出遭うか、どのように感じるかはその人次第である。どんな境遇であってもどこかに道はあって、なくても道を作っていく位のポジティブシンキングで、「今を生きている」ことに感謝しつつ、これからも私らしく人生を歩いていきたい。

 

東京ベイ浦安市川医療センター
集中ケア認定看護師/米国呼吸療法士

戎 初代